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襄公 (秦) : ウィキペディア日本語版
襄公 (秦)[じょうこう]

襄公(じょうこう、? - 紀元前766年)は、の初代公。荘公の子。
== 生涯 ==
襄公は秦の太子であった兄の世父(せほ)から太子を譲られ、秦の太子となった。
荘公44年(前778年)、荘公が卒去したため、襄公が後を継いだ。
襄公元年(前777年)、襄公は妹の繆嬴を豊王〔太子伯服?〕の妻とした。
襄公2年(前776年)、が犬丘を包囲した。兄の世父はこれを撃って戎の捕虜となったが、1年あまりして釈放された。
襄公7年(前771年)春、幽王褒姒(ほうじ)を寵愛し、太子を廃して褒姒の子を嫡子とした。また、しばしば諸侯を欺いたので、諸侯は幽王に叛き、西戎犬戎申侯とともに周を撃ち、幽王を酈山の麓で殺した。この時、襄公は兵を率いて周を救うために戦い、周の雒邑(洛邑)〔現在の河南省洛陽市。〕東徙でも周の平王を護衛したため、平王から諸侯に封じられ、岐山以西の地を賜り、伯爵となった。ここにおいて襄公は秦国を創始し、諸侯と聘享の礼〔聘問・享宴の礼。〕を通じた。襄公は騮駒(りゅうく)〔たてがみの黒い赤身の馬。〕・黄牛・羝羊(ていよう)〔牡(おす)の羊。〕の各3匹を供え、西畤(せいじ)〔西方祭壇。〕を作って上帝を祠った。
襄公12年(前766年)、襄公は戎を討って岐山の麓で薨去し、子の文公が立って秦君となった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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